恵比寿映像祭

恵比寿映像祭

恵比寿映像祭

恵比寿映像祭は、年に一度、15日間にわたり、東京都写真美術館全館ならびに恵比寿ガーデンプレイスセンター広場ほかを会場に、展示、上映、ライヴ・パフォーマンス、シンポジウム、レクチャーなどを複合的に行う映像とアートの国際フェスティバルです。「映像とは何か?」に関するひとつではない問いと答えを、さまざまな角度から探し求め、対話を重ね、広く共有する場とするため、毎年ひとつのテーマを出発点に、国内外から多彩な作品やプログラムを集め、構成します。

第5回の総合テーマは「パブリック⇄ダイアリー」。「日記」をキーワードに、映像の力について考えます。 映像には、時制を最短距離で乗り越え、異なる時空をつなぎ合わせる道標としての力があります。人がその生を通じて遺す痕跡や記憶、想いを、時間は無情にも消去していきます。しかし、映像があるから思い出せる、映像に残すことで忘れておける、あるいは、映像を契機に視覚化されていないことを察することができる、というように、映像の力を借りることで私たちは、時間を再生し、俯瞰し、超克することができるのではないでしょうか。

当事者の視点で継続的に記され、年号・日付・時刻等の情報に関連づけられるものを「日記」と定義づけることができるとするならば、「日記」的な映像は、さまざまに見出されます。記録メディアとしての映像の可能性や課題、表現形式としての「日記」のあり方といった各論を掘り下げるとともに、さらに、そうした作品を通じて、なぜ人は「日記」を記し著すのか、そして、いかに残された「日記」を読み解くことができるのかについて考えます。それはそのまま同時に、表現と受容という、アートの根幹にかかわる課題をも問うことに通じるでしょう。

旧来、日記は私的な空間で主観的に記すもの、とされてきましたが、メディア技術や情報システムの変転によって、私的な空間がさまざまな形で浸食され、管理されてしまう現代にあって、「私」を問うことは、裏返しに見えてくる「公」をもまた、新たに問うことにほかなりません。映像の力を借りることによって、「私」が「歴史」になり、「公」が「日記」として読まれるような、揺らぎにも似た領域にこそ、光をあててみたいと思います。

恵比寿映像祭ディレクター 東京都写真美術館学芸員 岡村恵子